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霞ヶ浦の帆引き船物語
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帆引き船の歴史
 
帆引き船の発明者 折本良平
帆引き船 秋田県八郎潟に伝わる
 
 
帆引き船 秋田県八郎潟に伝わる
伝え人:坂本金吉
写真:坂本照明氏提供
 旧霞ヶ浦町田伏出身で、国民的歌手坂本九の実祖父。
 明治35年、家族とともに秋田県山本郡浜口村芦崎(現八竜町芦崎)に移住。
 明治35年〜40年頃、帆引き船を伝える。
 金吉は地元の伊東倉吉らとともにエビの加工、販売などにも力を入れ、秋田、山形をはじめ、東京や茨城の問屋とも取引きをしていた。

金吉の長男ゆたかと長女ちよが学んだ旧芦崎尋常小学校
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■ 2点とも秋田県八竜町芦崎の伊東家に伝わる。 ■
金吉の印が入ったエビド
金吉の印が入ったエビド
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判取帳
判取帳
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八郎潟が干拓される前の打瀬船
帆引き船は八郎潟では打瀬船と呼ばれ、使用された船は八郎潟特有の潟船と呼ばれる船である。
潟船は底が平らで細長い箱型をしている。重木づくりに特徴づけられる。
八郎潟が干拓される前の打瀬船
撮影:樋口政治郎氏
 
 
第18回八郎湖ウォーターフェスティバルでの観光うたせ船
二艘引き。船を二艘連結して行う。霞ヶ浦にはない漁法である。
スピードが増し、一艘引きより魚が獲れるという。
第18回八郎湖ウォーターフェスティバルでの観光うたせ船
(秋田県八郎湖)[平成16年8月撮影]
 
 
 
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