折本良平は旧霞ヶ浦町二ノ宮に天保5年(1834年)に生まれた。
家の屋号は「あいや」といわれ、先祖は藍染の仕事をしていたという。
漁師を生業としていたわけではなく、時々大徳網の曳子などをしながら生計をたて、生活用具や農具などの改良や発明などに日々いそしんでいたという。
折本良平がシラウオ漁を目的に、帆引き船を発明したのは明治13年、良平46歳の時であった。当時はシラウオ漁には大徳網が使われていた。この漁は普通2〜3隻の船を使い、20人以上の人手が必要であった。
帆引き船の発明を己の利益のみに固執することなく、自ら多くの漁師たちにその操業技術を伝えた。
その結果、霞ヶ浦の漁業は網元を中心とした組織的な操業から、家族を中心とした個人操業へと変化し、日雇い的な賃金ではなく漁獲に見合った収入の道を開き、沿岸漁民の生活安定に大きな貢献をした。 |
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