志筑城跡
【県指定文化財】
鎌倉時代茨城南郡の地頭職であった下河辺政義(後益戸氏)の築城によるもので、子孫代々城主をつとめましたが、六代国行の時、南北朝争乱で南朝方に組し、府中城の大掾高幹と戦いをくり返し興国2年(1341)6月遂に破れ、その後廃城となりました。
慶長7年(1602)、本堂茂親の領するところとなり、正保2年(1645)より明治の廃藩置県まで本堂氏が陣屋を構えたところで、今も築城当時の土塁をのこしています。
平成23年まで志筑小学校の敷地となっていた場所で、三方が深田に囲まれ、南側に自然の堀割を擁した天然の要害を見ることができます。
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